| 寺号 | 国見山 鳳台院 慈眼寺 |
|---|---|
| 宗派 | 曹洞宗 |
| 本尊 | 釈迦牟尼仏 |
| 開山 | 竺翁円符和尚 |
| 開基 | 笠間朝貞 |
| 住所 | 〒309–1631 茨城県笠間市箱田2458 |
| 連絡先 | TEL:0296–72–0024 FAX:0296–72–4245 |

由緒
今から約八百年前、承久年間(1219年~1222年)に片庭の国見山の麓に寺が建てられた。その後争乱の世に廃寺となってしまったが、笠間領主笠間朝貞は文明八年(1476年)に寺を間黒の地に再建した。開山は、相州小田原(神奈川県小田原市)の海蔵寺安叟和尚の十哲といわれた学僧のひとりである、竺翁和尚とし、二代覚山和尚を招いて再興した。朝貞は、のち文亀元年(1501年)九月十日没し法名を、「鳳合院殿以修翰翁大居士」と号した。そこでこの寺を国見山鳳台院と称するようになったという。この寺には、のちのちまで名僧がつづき曹洞宗禅の道場となって多くの禅僧を育てた。
江戸時代に入って慶安年中(1648年~1652年)に五石の朱地が給付された。その頃の末寺は笠間藩領に三十五か寺があったといわれ、山内郷では飯田村の常穏寺、常安寺、上稲田村の大光寺、関戸村の源慶院、本戸村の光洞院、来栖村の香林寺、阿弥陀村の宗学院、山外郷では木植村の円明寺などがあった。領外では遠州(静岡市)の長源院、出羽米沢(山形県)の金松寺、松原寺、新庄の長泉寺、鶴岡の禅龍寺など全国に百十余か寺があったと伝えられている。

のちに、この寺は度重なる火災にあい、寺宝もことごとく焼失し、今は山門(笠間市定文化財)と石柱が昔の面影をしのばせるだけとなった。
三十三世禪雲童龍大和尚は、昭和五十年より境内の整備を行い、釈迦如来大仏・達磨大師大仏・五重塔・観音堂本殿・仁王門・客殿を建立、さらには裏参道の整備など現在の壮大な伽藍の完成に尽力し、本寺より「中興の号」を授かった。
また、花の寺として境内には約二万本のシャクナゲをはじめ、多くの花が植えられており、季節ごとに芳香を漂わせています。
大塚啓三郎
文政11年(1828年)生〜明治9年(1876年)没
下野国(栃木県)福手村(現茂木町)に生まれる。栃木県益子町の「根古屋製陶:根古屋窯」の初代当主であり、益子焼の陶祖として知られる幕末から明治の陶工。
江戸末期、当山二十一世雄山大周大和尚が開いた寺子屋に住み込みで学んだ。そして焼き物好きであった鳳台院二十一世(第21代目)住職・雄山大周が資金を入れ経営に関わっていた近隣にあった久野窯(現在の久野陶園)に随伴し通ううちに焼き物に興味を持ち、製陶のやり方を見聞きしながら覚えていったという。
その後、益子の農民・大塚平兵衛の婿となり、嘉永6年(1853年)に益子にて築窯し製陶を始める。








